Lens Impression
ジョージ・イーストマンの思いは常に、いかに写真の楽しさを一般大衆の手元に届けるかという高い理想の元にあった。その思想はコダック社内に深く浸透し、同社の製造する撮影用カメラも基本的にはシンプルで折りたためたり、小型の箱型のカメラばかりであった。
「米国カメラメーカーは普及製品しか作れない!」と揶揄されたことも多かったが、コダックの技術力、資本力からすれば決してそんなことはなかった。言い換えれば複雑なカメラを作りたければ、そういう会社を買収してしまえばよかっただけのことである。実際同社は多くのカメラ用レンズは他社からの供給を受けて使用していた。
そうしたコダック社が唯一社是を破って精密複雑カメラ製造に手を染めたのが「エクトラ」であったと言っても過言ではないだろう。(スーパーコダック620やレチナを含めるのもありうるが、、、)
エクトラの製造に当たっては、第二次世界大戦で欧州からライカなど高性能な小型カメラの輸入が途絶えたことによって、政府・軍部などから同等それ以上の性能のカメラを作ることを求められたという理由が大きいと思われる。しかし完成したエクトラはそれまでの、そしてそれ以降のどの小型カメラと比較しても「複雑怪奇度」では引けを取らないカメラとなった。
重く複雑で使い勝手の悪いカメラとなってしまった原因はいろいろあるだろうが、経験のある他社を買収するなどせず、自社でベストを追い求めて作ってしまったことも一つの要因であろう。当時同社では将来の小型カメラ市場の拡大を予測して、他社依存を弱め、自社でのR&D開発研究と製造技術を進化させようとしていた矢先であったのである。
はたしてエクトラは「世間知らずで貴族の天才科学者が生み出したフランケンシュタイン」なのだろうか?
エクトラは結局2,500台前後しか売れなかった。その結果、担当者たちを追い詰めたのが、それまで研究開発にかかった費用、工場の設備などこれらの投下資本をどうやって回収するか、であった。
悩んだ末にたどり着いた解決法の一つが、エクトラのレンズを急成長していたテレビ業界で売りさばくことである。ちょうど1945年に35mmサイズの管撮像素子を持つ高感度カメラ「RCA 3 image Orthicon TV camera」が完成しており、それにエクトラ交換レンズすべて(35mmf3.3,50mmf1.9,90mmf3.5,135mmf2.8)が連動カムなど一部の変更だけでほぼそのままの形で供給された。
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そうそう、EktanonはEktarと全く同じレンズですので、写りも素晴らしいです。絞り開放でのボケ味はすこしざわざわっと心を震わせ、絞り込んでやれば優等生のきっちりした写りを与えてくれ、非常に安心して使えるレンズですね。
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